早朝の多摩川

急に涼しくなった。いや、むしろかなり肌寒い。
フリースとパーカーを着ていても寒いと感じるほどだ。
そんな9月の終わり、本当に久しぶりに散歩に出かけた。
多摩川の土手を朝日に向かって立日橋~万願寺方面へ。
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曼珠沙華の季節。
ウィキによれば「全草有毒な多年生の球根性植物で長時間水に浸すことにより無害化が可能であるため、
救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある。」とのこと。
それにしても不思議な花だ。
花があるときは葉はなく、葉があるときは花がない。
お墓の周りに曼珠沙華が咲いているのをみるとまるでそこだけが違う次元であるかのように感じる。
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# by yubou63 | 2011-09-25 09:14 | 多摩川界隈

紫陽花祭り2011

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# by yubou63 | 2011-06-15 19:31 | 高幡不動界隈

高幡不動にて

2011/5/1  午前 撮影
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水芭蕉
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ヒイロタケ
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緑が綺麗。
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# by yubou63 | 2011-05-18 16:29 | 高幡不動界隈

浅川 一番橋付近にて

5/18 11時 撮影
スズメ目ウグイス科の鳥には間違いないと思うのですが
何の鳥か判別できませんでした。
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# by yubou63 | 2011-05-18 16:21 | 野鳥

GWに被災地へ

アップしようか迷っていましたがあえてこの場に残しておこうと思います。

まずはじめに私は宮城県石巻市出身です。
両親は関東にいますが弟やほとんどの親戚が石巻や近隣に住んでいます。
うちの両親は2人ともあちらの出身で兄弟も10人ずついます。
震災前にすでに亡くなっている方もいるので今は双方3分の2の人数ですが
その子供たち(私にとっては従兄弟)も多く、さらにもうみんな結婚して子供がいるので
やっぱり親戚は多いんですよね。

3月11日、地震と津波が襲った日の日も暮れようとしている時、
石巻在住の弟から電話がありました。
今、浸水した市内の職場のビルの3Fに非難している。
すべてのライフラインがストップし、逃げられない状況だと。
でもそんな彼は意外と楽観視していて声も明るかったけどそれでも
「何かあったら後のことは頼むな」と私に言いました。

その言葉を聴いたときほど恐怖を覚えた瞬間はなかったです。
このまま電話を切ったら何もかも終わりのような気がしました。
でも反面とても信じられない気もしていました。

結局次の日弟は無事自力で脱出してお嫁さんと4歳になる姪っ子と合流。
かろうじて津波の被害を免れた自宅へ戻ったそうです。
ケータイがつながらなかったのでそれを知ったのは何日か後でした。

それから次々と親戚の安否情報が入ってきましたが
女川在住の母方の姉夫婦がみつからないという事でした。

そして2ヶ月が経とうとしているGWにうちの両親が石巻入りするというのを聞き、
私も行きたいとは思いましたが被災した弟に大勢で押しかけては迷惑だろうと
遠慮していたら弟が「一度来て石巻の現状を見ておいたほうがいい」と言ってくれたので
ようやく決心がついて急きょ両親とは別に電車で行くことに。

到着した仙台駅はお土産やも普通に営業していてあのひどかった有様は見られず
東塩釜駅からの代行バスで通り過ぎた松島も観光で賑わっていたので安心しつつ
弟の自宅付近(石巻市内手前)に特に問題もなく到着。
(この時も道脇の植え込みに瓦礫が多少ある程度)

でも次の日合流した両親と弟達と車で石巻市内を通り渡波というテレビでは移さないエリアに
行く頃には徐々に爪あとが明らかになってきました。

下の写真から渡波の駅近くにある叔母の家の隣にある神社。
子供の頃よくここで遊んでいました。
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鳥居に車が突っ込んでいます。そして近所の家から集められた瓦礫が。
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反対側も同じような有様。

そしてここからは津波が17mはあったとも推測される被害の大きかった女川の写真になります。
叔父の遺体は見つかりすでに土葬。叔母の遺体はいまだに見つかっていません。
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叔母の家です。
家ごと流されて土台しかありません。
叔母の子供達である従姉妹すら実家がどこだかわからなかったそうで
かろうじて残った玄関のスロープと手すりの残骸でようやく判別がついたそうです。
私が子供の頃よく泊まりに来ていた家が見る影もなくなってしまいました。

でもそれは何も叔母の家だけではありませんでした。
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ここは見ての通り海の見える場所ではありません。
駅から一山超えたあたりの高台エリアなのですが一面が瓦礫です。
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何もなくなってしまった所にかろうじて残ったマンションの4階にまではっきりと
津波の爪あとが残っています。剥がれ落ちた外壁が生々しいです。
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そして高台にあるはずのない船が何隻も。
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津波の襲った時刻でしょうか。時計は3時半で止まっています。
まるで原爆の時と同じ光景です。

このあと、叔母の遺体があるかどうか確認するために
今までに見つかった遺体写真を見せてもらいに避難所のある施設へ。
青黒くむくんだ生々しい遺体はもはや判別が難しく中には人の形をしていないものも。
これを遺族が見るのはどんなに辛いだろうと思いました。

今回の震災で亡くなった親戚は3人。
女川の叔父叔母と従姉妹の旦那さん。
それでも従姉妹達は気丈で明るくすべてを率直に受け入れる覚悟をしているようでした。

そして帰り道、弟に頼んで渡波の中学からの友人の家を訪ねました。
予定が組めなかったので彼女に連絡は入れていなかったのですが
瓦礫の門に埋もれた友人の家と思われる壊れた玄関の中から物音がしていたので
ケータイで電話をしてみるとおりしも片付けに避難所から来ていたとのこと。
お互い抱き合って無事を喜びましたが
彼女は今回の津波で両親を失い、津波が来たときには細い道路をはさんだ向かいの家の2階に逃げて
波に飲まれる自宅をすぐ近くで見ていたそうです。
さすがにそのときの彼女の気持ちを思うと涙が出ました。

最後に弟に石巻市内で被害の一番ひどかったエリアに案内されました。
火災のあった学校はやはり原爆時のように悲惨な姿をさらしていました。
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本当にちょっとした地形の違いで無事だったエリアがあるかと思えば
一変して燦々たる場所もあって夢でも見ているような感じでした。

次の日両親と車で帰る途中寄った石巻駅裏に住む父方の叔父は震災後に5キロもやせてはいたものの
とても元気そうで今日からやっとガスが来てお風呂に入れると喜んでいましたし
叔母もうちの父が東京から発泡スチロールの畳を運んでくれて浸水した家に住めるようになったので
「生き返ったよ」と感謝していました。

叔父の顔を見た瞬間思わず握った手がとても暖かくて。
ああ、これが「生きてる」って事なんだなぁと心底実感しました。

本当にいろいろな事があった数日でしたが弟の言うように行ってよかったと思っています。
今度はもうちょっと長くいて何か手伝えればいいんだけどな・・・
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# by yubou63 | 2011-05-15 11:12 | その他(日野以外)